井上ひさし(小説家、劇作家)のプロフィール

井上ひさしの顔画像 井上 ひさし(いのうえ ひさし、1934年11月16日 - )は日本の小説家、劇作家である。日本ペンクラブ会長、日本文藝家協会理事、日本劇作家協会理事(2004年4月~)、千葉県市川市文化振興財団理事長(2004年7月~)を勤めている。本名井上廈。有名な遅筆から遅筆堂という戯号を用いることもある。二度目の妻ユリは元日本共産党中央委員会常任幹部会員・衆議院議員米原昶(いたる)の娘、エッセイスト米原万里の妹で共産党員。

井上靖と競った文学青年を父として山形県東置賜郡小松町(現川西町 (山形県) 川西町)に生まれる。5歳で父と死別し、義父から虐待を受ける。義父に有り金を持ち逃げされ、生活苦のため母に預けられたカトリック教会 カトリック修道会ラ・サール#ラ・サール会 ラ・サール会の孤児院「光が丘天使園」で、児童に対する修道士たちの献身的な愛情に感動し、受洗する。高校は仙台第一高等学校へ進み、孤児院から通学、在学中の思い出を半自伝的小説『青葉繁れる』に記している。東北大学と東京外国語大学の受験に失敗して、早稲田大学の補欠合格と慶応義塾大学図書館学科の合格を果たすも、学費を払うことができず、上智大学文学部ドイツ語学科に入学。しかしドイツ語に興味が持てなかった上、生活費も底をついたため、2年間休学して岩手県の国立釜石療養所で事務のアルバイトをする。看護婦への憧れから医師を志し、弘前大学医学部と岩手医科大学を受験して失敗。その後ドイツ語からフランス語に専攻を変えて復学。釜石で働いて貯めた15万円は、赤線に通い詰めて2ヶ月で使い果たした。上智大学外国語学部フランス語学科を卒業する前から、浅草のストリップ劇場フランス座を中心に台本を書き始める。当時のストリップは、1回2時間程度のショーに先駆け1時間程度の小喜劇を出し物としており、殊にフランス座は、渥美清を筆頭として、谷幹一、関敬六、長門勇と言った、後に日本を代表する喜劇役者の活躍の場であった。これらの大学時代の経験は、『モッキンポット師の後始末』に、(かなりフィクションが交えられているが)小説化されている。
コメント(0)報告

名言への新着コメント

まだこのコメントはありません。

井上ひさしの関連書籍

言語小説集

言語小説集

井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

日本語教室 (新潮新書)

日本語教室 (新潮新書)

私家版 日本語文法 (新潮文庫)

私家版 日本語文法 (新潮文庫)

吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)

吉里吉里人 (上巻) (新潮文庫)

父と暮せば (新潮文庫)

父と暮せば (新潮文庫)

ふかいことをおもしろく―創作の原点 (100年インタビュー)

ふかいことをおもしろく―創作の原点 (100年インタビュー)

一週間

一週間

井上ひさしの人気の名言

ぺージ一番上へ